緊張と緩和。
とは、笑いの定石であるらしいが、
びっくり!への定石とは何であろうか。
現状言えるのは、「準備」かもしれない。

あらためて、お話ししますが、
2002年までZIGZOってバンドをやってました。
そのバンドに参加するまでは、
樫本、茂呂って二人と、とにかく曲を作って、
その曲が世に出る暁を、地下深くから見上げてました。
「ひまわり」や「何から何まで」や「sleep」。
当時、樫本の家庭の事情でバンド運営が困難になっていたところに、
昔のバイト仲間から電話があって。
覚えてます。実弟と湘南の海に行った帰りの車中でした。
「久しぶり。櫻です。歌わない?」って。
バイセクシャルの二人とバンドやってるんだけど、
面白くなって来たから歌い手を捜してるんだ、と。
nilの存続を茂呂と危ぶんでいた俺にとっては、
とても悩ましいお誘いだったんですが、
とにかく会って、音を出してみようと。
世田谷のスタジオで初めて音を出した時、
前述の曲達が表情を変えました。
素直な笑顔に、ギラギラした輝きが加わりました。
面白い!バンドって面白い!って思いました。
人と人との組み合わせでこんなにも曲が変わる。
岡本、大西、櫻澤って男達を知ってる皆さんには
分かってもらえると思うけど、
悪ふざけが過ぎる不良の大人で。
そこにも惚れました。それはいつか心酔に。
翌日、茂呂に会って、nilを休ませる事を告げました。
そして、必ず再開させる事も約束しました。
そして、とにかく曲を作って、って作業は、
地下のスタジオから、櫻澤の実家の二階のプライベートスタジオに
場所を移し、密度も濃くなりだした頃にデビューが決まり、
その後は怒濤の日々。
僕にとっては、20代後半を駆け抜ける日々。
曖昧な記憶ですが、とにかく、必死に。
心を、肉体を、削り続けるような、
疲労感を達成感が覆い尽くすような、
そんな日々の中、楽しみにしていたRADIO HEADの
横浜アリーナ公演を岡本と楽しんだ帰り道。
僕にとっては大きな事件がありました。
2001年の秋。

顔の左側に違和感。
左半分が、感じない。
おかしいな、と思いながら家に着いて、鏡を見て驚きました。
動かない。
動かないんです、顔の左半分が。
指で引っ張っても、感じないんです。
爪で掻きむしっても。
救急病院での診断は「ベル麻痺」。
所謂、顔面麻痺でした。
深夜三時の当直医曰く、
一生治らない可能性もある。
その時の僕の帰り道は正に、暗闇でした。
どうしよう。どうしよう。どうしよう。
子供の様に大声で泣きました。
それは、僕が人生で初めて味わう、
絶望でした。

翌日。
岡本、大西、櫻澤に顔を見せました。
覚えてます。渋谷の焼き鳥屋で。
なんとか笑って安心させたかったんですが、
半分しか出来ませんでした。
でも、三人とも笑ってくれました。
泣いてくれました。
自律神経の問題でもあるらしいから、
少しの間、バンドを休みたい。
岡本と大西は賛成してくれました。
1年くらいなら、ファンの皆さんも待ってくれるだろう。
そうしよう。と、まとまりかけた時に。
「活動休止なんて俺たちには似合わない。潔く、辞めよう。
 哲、辛かったんだな。申し訳ない」
と、櫻澤が言ってくれました。

俺の所為で。
俺の顔が動かないから。
申し訳ないのはこっちだ。
って思いが溢れましたが、正直な気持ちは、
ホッとしました。
「ありがとう」って言いました。
今でも思います。
ありがとう。

それからの日々は、
録音済みのシングル「チェルシー」を売ろう。
俺達の最後の作品を、世の中に知らしめよう。
と、バンドがまた一丸となり、ツアーに出て。
それと共に、麻痺していた顔は視力以外は完治して。
2001年12月29日、解散を発表。
そして、2002年春の解散ツアー。
2002年3月16日、解散。

経て。

2010年11月20日。
櫻澤の誕生日イベントに遊びにいきました。
そこには、俺が関わる以前の三人が、
過ぎた悪ふざけを相も変わらず鳴らしていました。
一緒に見ていたTOORUってピアニストに、
凄いね、この人達!って言ったら、
哲っちゃん、あんたはこの真ん中で歌ってたんやで。って。
ぞくぞくして、鼓動が踊りだしました。
曖昧な記憶が鮮明に甦る瞬間でした。
打ち上げで、皆で話しました。
あれから10年経ったんだね。
どうだったんだい?この10年は。
どうだったんろう?10年前は。

誰からとも無く、
俺達の10年は、支えてくれたファンとの10年だよね。
その皆さんの為に、やろうよ。
世間からどう思われようが、
同窓会みたいな雰囲気でもいいんじゃない?
10年目って良い節目だしね。
って言った俺の大声を遮ったのは、
「来年は9年目やで」
さすが、岡本竜治。

2011年1月某日。
本当にやるのか?とミーテング。
ファンの皆さんの為にやろう、でいいのか?
たった一回のライブでも、自分たちの為じゃなくては、
見てる方もつまらないのではないか?
と、櫻澤。
わかる。が、自分たちの為、ってモチベーションは
それぞれのバンドで使い切ってる。
だよね。じゃ、やめよう。いや、やろう。
どうする?まあ今年は9年目で半端だし、
あわてて決めなくても良いんだから、
その議題を肴にまた呑もう。

2011年2月某日。
まだまだ尽きない思い出話に笑いながら、
とにかく、やる方向で進めてみようよ。

2011年3月16日。
大変な日の4日後。
こんな事になるなんて、誰が予想した?
何が起こるか分からないのが人生だ。
天災には敵わないよな。
俺たち人間は小さすぎる。
でも、俺たちで出来る事は、
出来るんだ。
やろう。
解散って何月だった?
3月の、ええと、16日だ。
あれ?
縁とは、不思議なものです。

4月、5月。
COMPLEX等々、沢山のバンドの復興再結成の情報が
飛び交う中、BY-SEXUALが一日復活する。と。
ううむ。再結成ブームに完全に乗り遅れたね俺たちZIGZOは。
と、笑う。

櫻澤と二人でライブ。
この流れの中での自然なお誘いを受けた高円寺。
そして、誘った仙台、盛岡、山田町。

忙しいそれぞれのスケジュールを摺り合わせた、2011年6月20日。
21620って数字の並びは、ZIGZO、に似ていて、
当時、誰からか「ZIGZOの日」って。
縁って、不思議なものです。
四人で楽器を担いでスタジオへ。
この日までに、少し恐れていた事がありました。
「この人達凄い。また一緒に鳴らしたい。
 って思いは、音を鳴らした瞬間に達成されてしまうのでは?
 音楽に対するモチベーションは、nilとジュンジュラで使い切ってるから、
 一瞬で飽きてしまうのではないか?」
杞憂に終わる。

7月、8月。
マネージャーから、
2012年3月17日の赤坂BLITZが確保出来た事を告げられる。
解散から10年と1日。
ミーティング内容が現実味を帯びだした。
だが、まだ現実ではない。
この毎月のミーティングは、10年の空白を埋める為の大事な作業。
互いの妄想を吐露する作業。
言わば、セラピー。

9月。
櫻澤から、「今年の誕生日は祝ってくれよ」と。
もちろんそうさせてもらうよ。

10月。
弾き語りの相方を探す。
灯台下暗し。

そして、昨夜。
重ねて来たミーテングが、現実になりました。
時々は演ることもあったけど、
本気でZIGZOとしてステージに立ちました。
この11ヶ月。
黙ってて申し訳ありません。
この期間は皆さんに嘘をついてる気分でした。

再始動します。
ただ、決まっているのは来年のBLITZ。
そして、もう恒例になってる毎月のミーティング。
そのミーテングの中で、その先を妄想していきます。
あるかもしれないし、ないかもしれない。
そこは、ZIGZOらしいや、と、
一緒に妄想しててくれたら。

nil、THE JUNEJULYAUGUSTを応援してくださってる皆さん。
何も、心配は要らないです。
最近のnilの活動は、少々穏やかですが、
深い意味は全くありません。たまたまです。
僕の歌う場所がまた一つ増えた、と喜んで頂けたら幸いです。
全ての場所に、最大限の愛で臨みます。
是非、愛してください。
僕は、必ず、応えます。

長い長い今日の文章は、「準備」。
この文章を保存したら、椅子から立ち上がり、
びっくりする人生を歩きます。
ありがとう、皆さん。
一緒に歩きましょう。

ありがとう。

                No. 666。